アドラー心理学の創始~現在

1.アドラー心理学の創始~現在

 

① 創始者(アルフレッド・アドラー)

 

 アドラー心理学の創始者は、オーストリア出身のアルフレッド・アドラー(1870~1937年、精神科医、心理学者、社会理論家)です。アドラー心理学は、当時、心理学の主流だったフロイト派(ジークムント・フロイト)、ユング派(カール・グスタフ・ユング)と並ぶ学派でした。1902年からフロイトに招かれ、研究グループで一緒に精神分析の研究と活動をしていました。しかし、1910年にアドラーがウィーン精神分析協会の議長に就任した頃から、アドラーはフロイトと主張が異なりはじめ、1911年に自由精神分析協会(後の個人心理学会)を設立してフロイト派から離れ、アドラー心理学を創始しました。欧米では「個人心理学 Individual Psychology」といわれています。

 

②アルフレッド・アドラ―の幼小~成人(医師)期、結婚

 

 アドラーは、6人兄弟の次男です。アドラーは幼少期にくる病で苦しみました。そして3歳下の弟が生まれて1年でジフテリアに罹り死んでしまったこと、自分は4歳頃、肺炎で死にかけたことがキッカケで医師を志しました。その後、ウィーン大学の医学部へ入学(1888年)し、1895年に卒業しました。アドラーは、卒業後、ユダヤ人が多く住むウィーンで眼科医になり、その後内科の診療所を始めました。 

 1897年、ライザ(ロシア系ユダヤ人)と結婚し、4人の子ども(ヴァレンタイン、アレクサンドラ、クルト、コルネリア)をもうけました。

 

③アドラー心理学の継承

 

 アドラー心理学は、アルフレッド・アドラーの死後、フルトミューラーとビルンバウムがオーストリアで、アメリカではドライカース(シカゴ)、アンスバッハー(バーモント)を拠点にして仕事が継続されました。長男のクルト(1905~1997年)は、オーストリアで物理学の博士号を取得後、アメリカで精神科医の資格を取得しアドラー研究所(ニューヨーク)を創立した一員です。

 

 次女のアレクサンドラ(1901~2001年)は、精神科医としてトラウマの研究をしました。


2.日本のアドラー心理学 

 

 日本のアドラー心理学は、シカゴ(アルフレッド・アドラー研究所)で学んだ精神科医の野田俊作氏によって日本に伝えられました。その後、坂本洲子氏もシカゴで学び、日本におけるアドラー心理学の普及に貢献しています。

  その他、岩井俊憲氏(写真左:1987年以降、ヒューマン・ギルド、東京、著書多数)、1989年から岸見一郎氏(写真右:日本アドラー心理学会顧問、京都聖カタリナ高等学校看護科、非常勤講師、「アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために」ベストセラーズ、1999年)も普及に尽力し、現在に至っています。